こころ
『嫌なこと、全部やめても生きられる』に学ぶ、もっとラクな子育て法

『嫌なこと、全部やめても生きられる』に学ぶ、もっとラクな子育て法

こんにちは、らくなままです。

突然ですが、『嫌なこと、全部やめても生きられる』という本をご存知ですか。

プロ奢ラレイヤーさんという方が書いた本なのですが、

この本、とてつもなく面白いです^^

~『嫌なこと、全部やめても生きられる』~

この本が出版されたのは2019年のこと、当時22歳の男性が書いたものです。

彼は、ツイッターを介して、

「他者からご飯を奢ってもらう」

という生活を3年も続けているというのです!

「他人のカネで生きていく」をモットーにツイッターを介して出会ったさまざまな人に「奢られる」という活動をし、(略)奢ってくれた人々との邂逅を綴った「奢ログ」を含んだ日々の考察を有料noto「プロ奢ラレイヤーのツイッターでは言えない話。」として配信中

プロ奢ラレイヤー プロフィールから引用

これだけを聞くと「いったいどんな人なんだろう?!」という感じなのですが、

本を読んでみると、彼の物事を捉える角度が実に面白く、かつ、

シンプルにラクに生きるヒントがたくさん書かれています。

そんなプロ奢ラレイヤーさん著『嫌なこと、全部やめても生きられる』を読んで、

らくなまま自身は、今までの子育て法を見直す良いきっかけを与えてもらいました。

そこで、『嫌なこと、全部やめても生きられる』に学ぶ「もっとラクな子育て法」について、

特に、らくなままが感じた”3つ”について綴りたいと思います。

1.「目標は」は「立てる」ものではなく、勝手に「立つ」もの

私自身は、目標を立てるのが好きです。

目標を立てて、小さく達成していくことが楽しいと感じています。

しかし、プロ奢ラレイヤーさんは、

『「目標」は、「立てる」ものではなく、勝手に「立つ」もの』だといいます。

小学生の頃から、「目標」というマントラを唱えさせられる。(略)マントラというのは宗教で採用される「教えを何度も唱える」もののこと。(略)

「将来の夢は?」「大きくなったら何になりたい?」そんなことを平気で聞いてくる大人たち。そんなものわかるわけがない。(略)でも選ばなければ怒られる。なので、とりあえず目の前の少ない選択肢から選んでおく。それを中学、高校と繰り返して「マントラ」として唱え続ける・・・。

プロ奢ラレイヤー著『嫌なこと、全部やめても生きられる』より引用

・・・たしかに、それ、ある!笑

プロ奢ラレイヤーさんはこう続けます。

「目標がない」ことを恥じたり悩む必要もありません。ないならないで別に好きなことしてたらよくない?目標なんて「欲望」が生まれたら勝手に湧き出てくるもので、そんな崇高なものじゃないですよ。別に。(略)

「目標が見つからない」「目標が達成できない」「目標の唱え方がわからない」。

そういう人はそもそも「何か目標を立てねばならない」というマントラから抜け出すことです。そして率直な自分の欲求に耳を傾ける。

プロ奢ラレイヤー著『嫌なこと、全部やめても生きられる』より引用

・・・納得~。

私は子供たちによく言ってしまっていますね。

「将来の夢は?」「何になりたい?」って。

そう、まるでマントラのように。

何気なく聞いてしまう「目標は?」という言葉。

それがマントラとなって、目標を答えられない子供たちを苦しめる可能性がある

っていうことに気づかされました。

それよりも、もっと自由にさせて、「目標」が「勝手に立つ」まで、見守ることも大切かもしれないですね。それが、お互いにとってもラクです。

2.「あきらめる」ことが、最弱に見えて実は無敵である理由

僕は、普通の人が普通にやっていることができません。

「満員電車に乗る」とか「時間通りに動く」とか「スケジュールを組む」とか「靴下を履く」とか。(略)でも、それで落ち込むことって正直、ほとんどないです。自分のことダメだなーとも思いません。「できないなー」とは思うけど。いちいち人と比べたりもしません。

だって「できない」ことを「なんでできないんだろう」なんて考えてもしょうがないから。

多くの人が悩みを抱えるとき、その原因になるのは「どうにもならないことをどうにかしようとする」態度です。最近は「あきらめが悪い」人を無条件に讃える文化が散見されますが、個人の幸福度から見ればあきらめはいいほうが良いはずです。

プロ奢ラレイヤー著『嫌なこと、全部やめても生きられる』より引用

これも、私は子供たちによく言ってしまっています。

「(人並みに)ちゃんとしなさい!」とか、「靴下履きなさい!」って。笑

つい世間体を気にして言ってしまうけれど、それが本当に必要なのかどうか。

むしろ、無意識に放っているその一言が、

自己肯定感を下げている可能性がある、っていうことに気づかされましたね。

それよりも、もっと自由にさせて、見守る方が、

幸せ感度は上がるのかもしれないということを、私に教えてくれました。

3.「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと」は論理的に正しくない。

「ダメになりそうな時」こそ僕はこの歌詞の真逆のことが大事なんじゃないかと思っています。つまり「負けること、投げ出すこと、逃げ出すこと」ですね。

負けないで逃げ出さないで投げ出さないで、生きたい!という人はどうぞどうぞっていう感じですが、それってしんどくない?(略)ダメなときこそ論理的に生きないと、下手したら死にます。

プロ奢ラレイヤー著『嫌なこと、全部やめても生きられる』より引用

私自身が学生の頃、

特に武道系の部活をしていた私にとっては、

「気合!根性!」は当たり前で、

「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと」の方が正しいと思っていました。

でも、大人になった今は、

本当にダメな時に、

「負けること、投げ出すこと、逃げ出すこと」もできる

という選択肢をもっておくことは、とても大切だと感じています。

じゃなきゃ、プロ奢ラレイヤーさんのいうとおり、

本当にダメになってしまうから。

これは、子育てにおいても同じです。

親は子供に「強くたくましく育ってほしい!」と願うばかりに、

「甘えるんじゃない!根性が足りない!」

という価値観を無意識で押し付けてしまいがちですが、

むしろ、十分頑張っている子供たちの姿を認めて、

「負けること、投げ出すこと、逃げ出すこと」という選択肢もあることを教える方が、

将来の子供たちにとっては、大切なことなのかもしれません。

そんなことを、改めて考えさせられました。

らくなままが、

プロ奢ラレイヤー著『嫌なこと、全部やめても生きられる』に学んだ、

もっとラクな子育て法。

いかがでしたでしょうか。

らくなまま自身は、

今までの子育て法を見直す良いきっかけを与えてもらいました。

特に感じたのは、

「ありのままでいい」っていうことです。

できる自分も、できない自分も、

ひっくるめて自分なのであって、

そのままでいい、ありのままでいいんです。

それこそが「真の自己肯定感」だからです。

そのことを、改めて教えてもらう良い機会になりました。

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